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名古屋地方裁判所 昭和57年(ワ)3208号 判決

原告 谷隆夫

右訴訟代理人弁護士 木村信雄

被告 吉田清三

右訴訟代理人弁護士 加藤謹治

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇万円およびこれに対する昭和五七年七月六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

一  被告は、原告に対し、九〇万円およびこれに対する昭和五七年七月六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行の宣言

(被告)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(原告の請求原因)

一  原告は、肩書住所地において宅地建物取引業を営む者であるが、昭和五七年三月二三日、被告から、被告所有かつ居住の別紙物件目録記載の士地建物(以下、「本件土地建物」という。)を二四〇〇万円位で売却することの媒介の依頼を受けた。

そして、その際被告は、原告に対し右媒介によって売買契約が成立したときは建設大臣の告示に定める率で算出した金額の報酬(以下、この金額を「告示報酬金」という。)を支払うことを約した。

二1  原告は、これより先である昭和五四年一二月ころ、本件土地建物の隣人である荻野俊夫から近隣に所在する土地建物を買受けたいとの媒介依頼を受けていたので、昭和五七年三月二三日、右荻野に本件土地建物の売却の話をし、同時に二四一八万円で買受ける旨の承諾をえた。

2  そこで、原告はその翌日、被告に対し二四一八万円で本件土地建物を買受ける者がいることを話したところ、被告は売買価額を三〇〇〇万円までつり上げたので、原告はその後何回も被告および右荻野に会い媒介を継続した。

その結果、同年四月初ころ、荻野から二八〇〇万円で本件土地建物を買受ける旨の承諾はえたが、被告は三〇〇〇万円でなければ売却しないといって、売却を拒否した。

三  ところが、被告と右荻野は、昭和五七年五月三〇日、本件土地建物について原告を排除したうえで、次のとおりの売買契約(以下、「本件売買契約」という。)を結んだ。

売主 被告

買主 荻野俊夫および荻野秋子(以下、両名を一括して「荻野夫婦」という。)

価額 二九〇〇万円

手付金 三〇〇万円

残代金支払の時期 昭和五七年七月五日

所有権移転時期方法 残代金の支払と引換に行う。

そして、荻野夫婦は、右同日手付金三〇〇万円を支払うとともに、同年七月五日残代金を支払い、被告から本件土地建物の所有権移転登記を受けた。

四  以上のとおり、被告は本件土地建物について、荻野夫婦との間で直接売買契約を結んだものであるが、原告は媒介業者として本件売買契約成立に機縁、端緒を与えたのみならず、その成立に当初から直前まで活動したものであるから、原告の媒介行為と本件売買契約の成立との間には相当な因果関係が存在する。しかるに、被告は媒介報酬金の支払を免れる目的で何ら責任のない原告を除外して本件売買契約を成立させたものであるから、被告の右行為は信義則に反する。したがって、民法一三〇条の法理に基づき、原告の媒介行為によって本件売買契約が成立したものとみなして、被告は原告に対し売買価額二九〇〇万円を基礎とする告示報酬金九三万円の支払義務がある。

なお荻野俊夫は原告が右約定報酬金九三万円より値引した八〇万円を昭和五七年九月一〇日までに原告に支払った。

五  よって、被告に対し、右媒介報酬金の一部九〇万円とこれに対する本件売買契約成立後の昭和五七年七月六日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因一項中、原告が肩書住所地において宅地建物取引業を営んでいること、本件土地建物がもと被告の所有であったことは認めるが、その余は不知。

被告が本件土地建物の売却の媒介を依頼した相手は、原告ではなく穂積不動産こと穂積公子である。そしてこのことは、宅地建物取引業法が改正され昭和五七年五月二〇日から媒介契約を結ぶには書面によることが必要となり、原告から書面による契約書の作成を求められた際、被告がその申出を拒絶したことからも明らかである。

また本件土地建物の売却依頼価額は二四〇〇万円位ではなく三〇〇〇万円であった。

なお、原告は、穂積公子が老令で自動車の運転免許を有していなかったので、穂積公子から協力を求められ、同人に協力したにすぎない。

二  同二項中、被告が二八〇〇万円では本件土地建物を売却しないといったことは認めるが、その余は不知もしくは否認する。

三  同三項は認める。

被告が本件売買契約を荻野夫婦との間で直接結んだのは、被告が本件土地建物の売却の媒介を依頼した穂積公子が昭和五七年五月初中旬ごろ行方を告げずに他に引越し、被告との関係を放置したためである。

四  同四項中、売買価額二九〇〇万円を基礎とする告示報酬金の額が九三万円であることは認めるが、その余は不知もしくは争う。

被告が荻野夫婦との間で本件売買契約を成立させたのは、昭和五七年五月三〇日、大平勝己の斡旋で名古屋市南区桜台町四丁目五四番地の宅地と同上の木造瓦葺二階建を三九三三万円で買受ける約定ができたためである。

第三証拠《省略》

理由

一  原告が肩書住所地において宅地建物取引業を営んでいること、本件土地建物がもと被告所有であったこと、被告が荻野夫婦との間で原告主張の日時にその主張どおりの本件売買契約を結び、その主張の各日時に荻野夫婦から各金員の支払を受け、本件土地建物の所有権移転登記手続をなしたことはいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠省略》を併せると、被告は昭和五四年に宅地建物取引主任者の資格を取得したものであるが、昭和五七年三月中旬ごろ、本件土地建物の売却の媒介を求めて、当時名古屋市瑞穂区瑞穂通七丁目五番地において宅地建物取引業を営んでいた穂積不動産こと穂積公子方を訪れたこと、その際被告は本件土地建物の売却の媒介を依頼したのみならず、名古屋市緑区青山三丁目七六番地の土地と同上に存在する建物(以下、「青山の物件」という。)の売却の媒介をも依頼し、さらに右両物件を売却した費用もしくはそれに若干上乗せした費用でもって他の土地建物を購入することの媒介も依頼したこと、またその際被告は青山の物件については売値を一七〇〇万円位と指定したものの、本件土地建物については売値を指定しなかったこと、原告は右当日たまたま他の用事で穂積方を訪れていたが、被告からの依頼を穂積公子とともに聞いたこと、原告と穂積公子(以下両名を一括して「原告ら」という。)は、前記のとおり被告から本件土地建物の売値を聞かなかったものの、坪当り七五万円ないし八〇万円位が相場であろうと思料したこと、これより先穂積公子は本件土地建物の東隣に居住する荻野俊夫から近隣で倉庫として利用できる適当な土地建物があったら紹介してほしいと依頼を受けていたので、被告から本件土地建物の売却の媒介を依頼されるや、原告らは右荻野に連絡し、同人との話合をした結果、同人から坪当り七八万円なら本件土地建物を購入したい旨の回答をえたこと、その結果原告らは数日後穂積不動産において、被告に対し二四〇〇万円位(坪当り七八万円)で本件土地建物を売却したらどうかと話したところ、被告は本件土地建物を三〇〇〇万円(坪当り一〇〇万円弱)もしくはたとえそれに至らなくともできるだけそれに近い値段で売却したい希望を持っていたため、値段が安すぎるといってこれをことわったこと、その後原告らは、荻野と被告との間で売買契約を成立させるため、共同もしくは単独で双方との話合を進めた結果、同年四月二〇日ごろ荻野からは二八〇〇万円なら購入する旨の了解がえられたものの、被告からはもっと三〇〇〇万円に近い値段でないと本件土地建物を譲ることができないと言われ、さらに同年五月上旬ごろまで被告との話合を進めたが、それ以上話合は進展しなかったこと、そしてその話合の最中に被告は本件土地建物の買受希望者が被告の東隣に居住する荻野俊夫であることを知ったが、その後被告は売値を三〇〇〇万円丁度ときめたこと、原告らは同年五月中旬ごろ以降は双方と話合をもたなかったこと、被告は穂積不動産へ本件土地建物の売却の媒介する以前に荻野が近隣で倉庫として利用できる建物を捜しているのを聞いたこともあったので、同人に本件土地建物を売却するならあえて業者を通す必要はないと考えたこと、被告は買受希望者が右荻野であることを知った後は、原告らから売値を下げたらどうかと勧められても、それを聞き流すのみであったこと、穂積公子は被告に対し同年五月二二日本件土地建物の売買交渉は、以後原告を介して行ってもらいたい旨言い残して三重県四日市市に転居したこと、そのころ被告は自ら購入したい土地建物を見つけたため、同年五月二七日ごろ、直接荻野方を訪れ、三〇〇〇万円で本件土地建物を購入してもらいたいと申込んだところ、荻野から高いといわれたので、売値を一〇〇万円下げて二九〇〇万円としたところ、荻野から了解がえられたので、同年五月三〇日、荻野夫婦との間で本件売買契約を結び、同日手付として三〇〇万円を、同年七月五日に残代金二六〇〇万円をそれぞれ受領し、本件土地建物について所有権移転登記手続をなしたこと、被告は売買価額三〇〇〇万円を基礎とした告示報酬金の額が約一〇〇万円であることを知っていたこと、原告は被告と荻野夫婦との間で本件土地建物について売買契約が結ばれたことを同年九月ごろまで知らなかったこと、なお前記のとおり被告は土地建物の購入の媒介も依頼したため、原告は、穂積不動産もしくは原告方事務所(なお、遅くとも原告事務所を訪れた際被告は原告が宅地建物取引業者であることを知ったものと推認される。)から自己の運転する自動車に被告を乗せ、合計一〇件位の物件を見に連れて行ったこと、また青山の物件については居住者がいなかったので原告が被告から合鍵を預ったことが認められ(る。)《証拠判断省略》

二  そこで、まず、被告が誰に媒介行為を依頼したかについて検討する。

被告が穂積公子に媒介行為を依頼したことは被告の自認するところであり、前記認定の事実によっても明らかである。

しかしながら、被告が媒介行為を依頼したのは、右穂積のみならず、原告に対してもと認めるのが相当である。

すなわち、前記認定の事実によれば、被告は昭和五七年三月中旬から同年五月上旬ごろまでの間原告らから共同もしくは単独で本件土地建物の売却についての媒介行為を受けたのであるが、その間被告は原告の事務所を訪れ、原告が宅地建物取引業を営む者であることを知り、その後も原告の媒介行為を拒否することなくこれを受容していたのであるから、遅くとも被告が原告が宅地建物取引業者であることを知って媒介行為を受けたころには、被告は原告に対しても媒介行為を依頼したと推認するのが相当だからである。

もっとも《証拠省略》によれば、原告は昭和五七年五月二〇日すぎごろ、被告に対し、宅地建物取引業法の改正に伴い右同日から売買等の媒介契約を結ぶには書面ですることが必要となったといって、媒介契約書の作成を依頼したところ、被告がこれを拒絶したことが認められるが、これは被告において買主が隣地の荻野であれば原告らを介することなく直接契約できると考えたことによるものであって、この事実によってそれ以前になされた媒介契約成立の事実をくつがえすに足りず、他に前記認定をくつがえすに足りる証拠もない。

三  次に被告が原告に対し媒介を依頼した際、その報酬金の額について合意が存したか否かについて検討する。

この点に関し、原告は、前記媒介契約成立の際、被告は原告に対し原告の媒介行為によって売買契約が成立したときは告示報酬金の額を報酬として支払う旨主張し、原告本人尋問の結果中にはこれにそう供述部分も存するが、他にこれを認めるに足りる的確な証拠がないうえ、被告はかかる合意の存したことを否定していることに照らすと、原告の主張にそう原告本人の右供述部分は疑問であり、右原告本人の供述部分をもってしては原告の右主張を認めることはできない。

また前記認定の事実によれば、被告と穂積との間においても売買契約成立の場合に被告の支払うべく報酬金の額についての合意が存しないことも明らかである。

以上によれば、被告と原告らとの間には原告らの媒介行為によって売買契約が成立した場合に被告が支払うべき報酬金の額について明示の合意は存しないことになるが、原告らがともに宅地建物取引業を営む商人であり、被告がそのことを熟知していたことに照らすと、原告らと被告との間には原告らの媒介行為によって売買契約が成立した場合には相当額の報酬を支払う旨の黙示の合意が存在していたものと推認するのが相当であり、また原告らが取得する報酬債権は、不可分もしくは連帯債権ではなく可分債権であると解するのが相当である。

四  ところで、土地等の売渡人がその売渡につき宅地建物取引業者に媒介を依頼し、売買契約の成立を停止条件として一定額の報酬を支払う旨約し、業者が約旨に従い媒介活動を行なったのに、売渡人が右業者を排除して直接媒介の相手方たる買受人との間に売買契約を成立させた場合において、右契約の成立時期が業者の媒介活動の時期に近接しているのみならず、当時その媒介活動により売渡人の売渡希望価額にあと僅かの差が残っているだけで間もなく売買契約が成立するに至る状態にあり、しかも売買契約における売渡価額が業者と売渡人が下相談した価額を僅かに下廻る等の事情があるときは、売渡人は業者の媒介によって間もなく売買契約の成立に至るべきことを熟知して故意にその媒介による契約の成立を妨げたものというべきであり、業者は媒介契約に定める停止条件が成就したものとみなして、売渡人に対し約定報酬の請求をすることができると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、被告が原告らに対し本件土地建物の売却の媒介を依頼した際、売買契約の成立を停止条件として相当額の報酬を支払うことを約し、原告らが右約旨に従い被告と荻野との間の媒介活動をしたことは前記のとおりであるところ、前記認定事実によれば、本件売買契約は昭和五七年五月三〇日に成立しているが、右売買契約成立日は原告らが媒介活動をした同年五月上旬に近接していること、被告が本件土地建物の買受希望者が荻野であることを知る直前においては、被告の売値は三〇〇〇万円丁度ではなくて三〇〇〇万円もしくはそれを若干下廻る価額であるのに対し、荻野の買値は二八〇〇万円であり、その差額は僅か約二〇〇万円にすぎなかったうえ、本件土地家屋は被告が買受希望の土地建物を見つければ、その代金支払のために売却されることが予定されており、しかも被告はできるだけ早急に右土地建物を取得するために右当時奔走中であり、さらに荻野も本件土地建物を買受たい旨の強い希望を有していた(このことは前記認定の事実より推認される。)ことに照らすと、右当時においては原告らの媒介行為によって間もなく売買契約が成立するに至るであろう状態にあったというべきであるところ、被告は本件土地建物の買受希望者が荻野であることを知るや、売値を三〇〇〇万円丁度として原告らの媒介行為の功を奏しないようにさせ、原告らがあきらめた段階に至って、新しい土地建物を見つけたこともあって、原告らを排除して荻野夫婦との間に直接本件売買契約を結んだものであり、しかもその売買価額は被告の売値を一〇〇万円下る二九〇〇万円であったのであるから、かかる諸事実によると、被告は原告らの媒介行為によって間もなく売買契約の成立に至るべきことを熟知して故意にその媒介による契約の成立を妨げ、直接荻野夫婦との間で本件売買契約を結んだものというべきである。

してみると、原告らは前記停止条件が成就したものとみなして、被告に対し約定の報酬金を請求することができるというべきである。

五  そこで進んで前記相当額の報酬金の額について検討するに、右相当額は前記二九〇〇万円を基礎とする告示報酬金九三万円(この額については当事者間に争いがない)を限度とすることはもとよりであるところ、前記認定のとおり、原告らは買受人を捜出したうえ、当初約二四〇〇万円であった買値を二八〇〇万円まで増額させ、契約の成立を容易にさせたのであり、しかも一般に不動産の売却を希望する者が宅地建物取引業者に売却の媒介を依頼するゆえんは依頼者が業者の情報を利用して最も有利かつ適当な買受希望者を探索することにあるのであるから、不動産売却の媒介業務においては依頼者の希望を充たす見込のある買受希望者を紹介することが最も重要であること、本件媒介契約が最後まで行なわれなかったのは被告が原告らを排除して直接取引をしたためであること等に照らすと、原告らの媒介行為が本件売買契約の成立に寄与した度合は相当大きいと評価できる。

しかしながら、他方原告らは被告から本件土地建物の売却の媒介を受けた後、新聞広告等を利用して広く購入希望者を捜す等はしなかったのみならず、荻野以外の買受希望者を紹介しなかったこと、荻野が本件土地建物を購入したい希望を有していたことは被告自身原告らに教えられる以前から不確実ながら知っていたこと、本件売買契約が昭和五七年五月三〇日に成立するに至ったことには被告が購入希望家屋を直接見つけ、その資金手当をする必要があったことが大きく作用していることはいずれも前記認定のとおりである。

したがって以上の諸事情を総合考慮すれば、被告が支払うべき報酬金の額は六〇万円と認めるのが相当である。

ところで、前記のとおり原告らの被告に対する報酬請求権は可分債権と解するのが相当であるから、結局右六〇万円の報酬請求権を原告と穂積との間で分配することになるが、原告と穂積との間には報酬の分配についての特約が存したことの立証もないうえ、原告と穂積とでは媒介に尽力した度合が違うことの立証もない(なお、原告の方が穂積より後で被告との間で媒介契約を結んだことは前記のとおりであるが、原告は媒介契約を結ぶ前から媒介行為をなしていたことに照らすと、媒介契約成立の時期の差異は原告らの尽力の度合に有意の差をもたらすものではないと解される。)ことに照らすと、原告らは各自三〇万円ずつの報酬請求権を取得したと解するのが相当である。

六  以上によれば、原告の本訴請求は三〇万円およびこれに対する本件売買契約成立の日の後である昭和五七年七月六日から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度で認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言については同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤義則 裁判官 澤田経夫 綿引穣)

〈以下省略〉

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